なぜ女性史を学ぶのか
先日の彼氏との会話。
NGT48の山口さんの事件について指原氏がワイドナショーでコメントをしている際、松本人志氏がセクハラ発言をしていた。
それについて私は、「男社会に生きる人はこういうところに鈍感だなぁ」というようなことを言ったのだと思う。
すると彼氏に、「なんで男社会が出てくるの?セクハラ発言をする人の問題でしょ。」と言われた。
つまり、事件の問題は関わった人であり、社会の話が出てくるのが分からない様子。
(いかにして自分が社会学脳なのか思い知る。)
他の差別で、例え話をしてみる。
「ユダヤ人を狙った事件が起きたとして、加害者の罪であることは大前提。
でも、何故その人がユダヤ人を狙ったのか。おそらくユダヤ差別があるからで、なぜ差別されているのか、歴史を知るのは大切なことだと思わない?
何故、性犯罪やセクハラの事件は、女性の被害が目立つのか。原因を可視化するためにも、女性史を学ぶのは大切だと思う。」
この話で概ね納得してくれたようだった。
部落差別・朝鮮人差別も含め、日本の学校は差別の歴史を多くは語らない。女性史も、積極的に学ばなければ知識が手に入れづらい領域だ。
歴史となっているが、差別は「昔のこと」ではない。東京医大の女子への入試差別のような分かりやすい例もあれば、日常で見て取れる女性蔑視はごまんとある。
このブログでも、些細な日常を舞台に、女性問題について整理していきたいと思っている。